この家は、一代で終わらせるには価値がありすぎる。

長持ちする家をとことん追求し続ける社長のブログ

3.進路

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「親父があんな怪我をして、お前は長谷川家の跡取りなんだから、危ない仕事はやめろ」


と親戚や知人が心配してくれました。


景気も良かったので、何のキャリアもない21歳の若造でも、町内の有力企業、町役場、いろんなところから沢山のオファーがありました。


ただ、さすがに給料は「それなり」で、入院中の医療費は多分、その当時5万円以上は補助が出たとしても、個室の差額ベット代や、24時間付き添っている母親の食事というか、生活費。

それだけで月に20万くらいかかっていたと思います。

到底、普通の給料では生活できません。


重機を売っても借金に消え、貯金は0です。

そして、重度障害なので、保険金は死亡した場合と同じ金額が保険会社から出るはずですが、親父は大の保険嫌いだったらしく、怪我する1週間ほど前に、保険の勧誘に来た時も、断ったそうです。
仕事中の怪我なので、「労災保険」も出るはずですが、代表者は、特別な高額な労災保険に加入していないと出ません。
もちろん入っていませんでした。


要するに、まとまった保険金は出なかったのです。
唯一でたのが、銀行で付き合いで入っていた積み立てに保険がおまけでついている商品で、数百万だったと思います。


なので、両親と私、そして、将来の妻、子供達は、私の稼ぎで生きていかなければいけない状況になったわけです。

今考えると、大変な境遇だったわけですが、その当時は、そんな不安がなかったように思います。


当時の地元では、あそこは親父の怪我で保険金が沢山出て、息子は仕事もせずに家をログハウスで建ててるという噂が流れていたようです。


ものは考えようですが、


もし、あの時多額の保険金が出て、労災保険も出ていたら、、、、


間違いなく今のグリーンライフは存在していなかったと思います。


人間、余裕があれば、そんなにがんばれないと思います。


もし、親父が怪我をしなかったら、、、、


山でのたれ死んでたか、


ウイスラーのバイトのままカナダに住み着いて、ビックロックホームズ でで働いてたか・・・・


まじめにどちらかでしょう。




この年は、ちょうど昭和から平成に変わった年です。

日本全国、将来に不安を持つ人がいなかった時代ではなかったでしょうか。

また、その頃は、日本でもログハウスがブームになり始めた頃だと思います。


とりあえず、就職は後回しにして、売れそうな田畑を売りに出したり、住んでいた家を売りに出し、退院後の車椅子の生活にも不便をきたさないような家を造る計画を親父と病院で練り始めました。


それが、現在の自宅であり、グリーンライフとしての第一号のログハウスです。


自慢ですが、一回もメンテしてません。


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