この家は、一代で終わらせるには価値がありすぎる。

長持ちする家をとことん追求し続ける社長のブログ

2.21歳の代表取締役

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それまで、もちろん自分で段取りをした時もなければ、考えて仕事をした時もなかったのですが、いきなり零細企業とはいえ、会社の代表取締役として、日々の段取りをする立場になったのです。


21歳の時でした。


その当時年齢のことを知るとみんなに凄いねと言われますが、今考えれば、言うまでもありませんが、自分の実力ではなく時代が助けてくれたのだと思います。


バブルで仕事が選ぶほどあった時代でなければ、誰も21歳の何にも知らない若造にわざわざ仕事を与えてはくれなかったでしょうし、通用していたとは思えません。


本当に、運が良かったと思います。


もちろん、数え切れないほどの多くの人たちに助けてもらったのは言うまでありません。


心から感謝しています。



なんとか、親父が残した(受注)仕事を終え、どうしようかと思いましたが、とりあえず、この仕事をこのまま続けることは不可能なので、借金も残っている重機を処分することにしました。


当時、規模のわりにかなりの台数の重機がありました。

ユンボ(パワーショベル)0.9が1台、0.7が2台、0.4が2台、

ブルトーザー が結構大きいのが2台

大型ダンプが2台

4トントラック(クレーンつき)1台

種子吹き付け機が1台


多分、こんなもんでしょうか。


景気も良かったので、処分するのにはそんなに時間もかかりませんでした。

それより、そんなに重機を持ってるんだったら、仕事をくれるから仕事を請けてやってくれと逆に言われるような状況でした。

結局、次の年の春まで仕事をすることになりました。冬の間は仕事がないので、病院でリハビリの手伝いと大型免許などを取ってました。

この頃の仕事でつらかったのは、最後に全部重機を引き取ってくれた会社の仕事だったのですが、箕輪スキー場のホテルと駐車場の造成工事です。


11月~12月頃だったと思いますが、恐らく氷点下15度以下で、今と違って、重機も暖房がちゃんとしていないので、ガラスが曇ってしまうので寒くても窓を開けての作業です。

ブルトーザーに乗る時は、屋根しかついていないので、地獄です。

マッキンリーの装備をそのまま着込みましたが、それでも夕方には手足が動かなくなるくらいでした。

今だったら、いくらお金をもらっても絶対にやらないと思います。

絶対に絶えられません。


また、ホテルの造成工事の時は、掘削したその機械上部で、片方のキャタピラが外れてしまい、身動きが取れなくなり、その場で重機を解体して出すしかないと言われましたが、みんなに迷惑をかけるし、売れば2、3百万になるので、片足で一歩間違えば自分で掘削した穴に崩れ落ちるような状況の中、なんとか脱出に成功したこともありました。


とりあえず、この頃は、世間体とか、自分のプライドとか、危ないとか、世の中の常識とか、自分の中から吹き飛んでました。


今思うと、何もかにもが普通の人の常識からも大きく外れていました。


ただ、この時の経験が、人並み以上の精神力に鍛えられたのだと思います。 (良くも悪くも・・・)


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